姫路紹介<弐> 古代の姫路は風水都市!?播磨風土記から知る姫路の歴史
古代日本では、占いなどで政事を行っていました。姫路城を中心とした姫路の街は、実は風水に基づいた街になっているのです。
姫路城のある姫山ですが、この場所は播磨風土記に登場も登場します。
そもそも播磨風土記とは、奈良時代初期に編纂された国情の報告書のことです。平安時代末期に書写された写本は昔の人々の暮らしを知る貴重な資料として国宝にも指定されています。
播磨風土記に姫山が登場するのは、「大汝命(大国主命)」が乱暴者のわが子「火明命」を島に置き去りにして船で逃げたお話しです。怒った火明命が海を大荒れにし、大汝命の乗っていた船を沈めます。船に乗っていたものはそれぞれ近くの丘に流れ着きました。現代「姫山」と呼ばれている場所には「蚕子(ひめこ)」が流れ着き、「日女路丘(ひめじおか)」と呼ばれるようになりました。
ちなみに船を沈められた大汝命は、無事奥さんのもとに帰っています。神話の時代の親子喧嘩が書かれているなんて、播磨風土記ってなかなか面白い本ですよね。
姫路の地は播磨風土記にも見られるように、神仏と縁深い土地柄です。
姫路城を中心に栄えてきた姫路の町には、少し面白い話があります。
姫路城がある姫山を中心にして、東に市川・西に山陽道・北に広峰山・南に播磨灘という四神相応配置になっているとうことです。四神相応配置とは中国・唐の長安、平安京の都と同じ配置です。同じお城がある場所ですと、江戸城、今の皇居も同配置といえます。どうして四神相応の地に政治の拠点を置くのがいいのか。それには古来から都の繁栄の条件には、それぞれ四神の利益を得られる四神相応の地を選ぶとよいとされていたからです。
ではどうして都でもない姫路が、四神相応配置になっているのでしょうか。それはなんと、平安時代の阿倍清明のライバル、播磨ゆかりの陰陽師・蘆屋道満によって見出だされたという伝説があるのです。
京で阿部清明と雌雄を決し、敗北した道満は播磨の地に戻り陰陽道を広めたと言われています。その際、四神相応配置になっている姫山を見出したのかもしれません。
お堅い歴史の側面だけでなく、違った角度から見てみると播磨の歴史はぐっと違う側面を見せてくれます。
姫路城には妖怪の伝説も残っていますので、次回は姫路の妖怪伝説について書きたいと思います。