軍師・黒田官兵衛と姫路城「十字紋の瓦」

姫路城 瓦

姫路城には、十字紋が描かれた瓦があります。
これはキリスト教に入信した黒田官兵衛の紋瓦という噂があります。
黒田官兵衛は、姫路出身の戦国武将です。
豊臣秀吉を天下人にした切れ者軍師として有名で、本能寺の変を受けて秀吉に「中国大返し」を敢行させたと言われています。
姫路出身の武将の紋瓦が、姫路城にあることは普通に考えればまったくおかしなことではありません。
ですが、官兵衛の活躍した時期とお城が完成した時期を考えると、歴史ミステリーが出来上がります。

官兵衛は秀吉が織田信長の命令で中国攻めをするときに、官兵衛の居城であった姫路城を秀吉に差し出しました。秀吉は姫路城を中国攻めの拠点にすべく、大改修を始めます。
もしこの時に十字の瓦が飾られたとするなら、まだ何も不思議なことはありません。居城を明け渡した官兵衛の気持ちを汲んで、秀吉が瓦を使った可能性は十分あります。
しかしその後、秀吉はキリスト教を弾圧します。更に関ケ原の戦いで豊臣軍が徳川軍に負けると姫路城は更に池田輝政の手で建て替えられています。江戸幕府も、秀吉に引き続きキリスト教を弾圧しました。
一体どうしたら、姫路城という目立つ場所に置かれた十字の瓦は壊されず後世まで残るのでしょうか?
姫路城に残っている十字の瓦は1枚だけです。
これは戦国の切れ者軍師・黒田官兵衛が仕掛けた謎なのでしょうか?

この歴史ミステリーの絶好の撮影スポットは、乾曲輪のあたりになります。肉眼で十分見れる場所にあるので、姫路城を訪れた際は、是非一度瓦に目を向けてみて下さい。

 

 

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