姫路紹介<肆> 姫路文化人・河合寸翁 姫路藩の財政改革と和菓子への情熱!
姫路には、河合寸翁と呼ばれる有名な文化人がいます。藩の財政改革や茶道に精通していた多才に溢れた人でした。
姫路城が現在の姿になったのは、関ケ原の戦い後になります。本多家から始まり徳川譜代の大名が城主を務めてきました。
江戸時代後期。この時代はどこの藩でも町人の力がつよくなり、各藩ともに財政難でした。時の姫路藩主・酒井氏も例にもれず、財政赤字に苦しんでいました。なんと徳川家譜代大名筆頭が、日常生活に困窮するほどの累積債務を抱えていたのです。
そこで文人肌であった、当時の姫路藩家老・河合道臣(後の河合寸翁)に財政再建の命が下ります。
河合道臣、質素倹約令を布く、大々的な改革を行いました。低金利での融資事業や特産品の販路開拓といった施策を次々に打ち出し、27年かけて収入の7倍あった負債を完済したのです。
財政改革に手腕を振るった河合道臣は、茶人という顔も持っており姫路の町にその名前を残しています。
財政改革のため産業改革を務める傍ら、河合寸翁はお茶席には欠かせない和菓子へも情熱を傾けていました。
姫路では有名な伊勢屋本店という老舗の和菓子屋があるのですが、当時その店の人間を推挙し、江戸で菓子造りを学びに行かせ藩御用菓子商にします。
そして伊勢屋本店が作った和菓子が「玉椿」。命名・河合寸翁で、姫路を代表する銘菓として今なお多くの人に親しまれています。また、他の菓子職人を長崎に派遣し、南蛮菓子を学ばせ、播州かりんとうの原型を作ったのも河合寸翁です。
河合寸翁の功績は大きく、姫路城にある姫山公園内にある姫路神社では、酒井家歴代姫路藩主とともに、河合寸翁が祀られています。
地元の人には寸翁さんと広く親しまれている河合寸翁。
毎年5月には寸翁大祭というお祭りがあり、姫路にゆかりのある武道の奉納演武が執り行われています。