姫路紹介<陸> 23円50銭!?売りに出された姫路城

お金 姫路城 

23円50銭で売りに出された姫路城。饅頭や大福が1銭で2個ほど食べられていたそうです。

明治維新で廃藩置県がきまると、全国にあるお城は次々に壊されていきました。
姫路城は売り出され、壊される運命の中にいました。売り出され姫路城をかったのは、姫路市米田に住む神戸氏です。23円50銭という価格で姫路城を買い取りました。当時の公務員の初任給が8~9円でしたので、給与の約3か月分のお買い物です。現代では考えられないほど、破格な値段がついていたのですね。

この神戸氏。いざ買い取ったはいいものの、一般の家に転用するには瓦は大きくて使えないし、木材を使うために解体する費用もバカ高い。
燃やして釘を回収しようとすれば、周囲に住む人からの猛反発を受け、どうすることも出来ずに放置することにします。後に陸軍省の預かりになるのですが、国宝になった姫路城の所有権を神戸氏の息子が当家にあると訴えたため、姫路城が売りに出された話は有名になりました。

姫路城 

さて、明治時代になんとか廃城を免れたお城は陸軍省の管轄に置かれるようになります。もちろん保全管理するためではありません。敷地を陸軍が使用するためです。姫路城も三の丸やお屋敷が壊されていきました。主を無くし、誰も手入れをするもののなくなった姫路城はどんどん荒れていき、今にも崩れそうになります。

そんな中、中村重遠という一人の大佐が声を上げました。
「天下の名城が崩れ落ちる前に何としてでも保存すべきだ!」
中村大佐は当時の陸軍卿・山形有朋に意見書を書きます。
「陸軍の費用で一日でも早く修理すべき」
修復を太政官に上申するなど精力的に働き、なんとか明治12年に大天守の地階の補強支柱工事が行われました。その後、市民による「白鷺城保存期成同盟」が結成され、国費9万3千円が投じられた「明治の大修理」が行われました。

姫路城 修復

私たちに優美な姿を見せてくれている姫路城。たくさんの人に愛されて今日までその姿を保ってきたんですね。

※山形有朋
長州出身の武士。高杉晋作が創設した奇兵隊に入隊後、メキメキと頭角を現し後に奇兵隊の軍監になります。明治新政府では軍政家として、日本陸軍の基礎を築き「国軍の父」と呼ばれました。晩年は、陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を持っていました。

※中村重遠(中村進一郎)
現在の高知県宿毛市出身の陸軍軍人。陸軍において建築・修繕を担当しており、日本の城郭を保存に尽力した。姫路城内曲輪内にはその偉功を讃え「中村大佐顕彰碑」があります。

 

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