戦国時代に開花した伝統の技 ~比叡山と石垣と穴太衆

比叡山
京都府と滋賀県にまたがった山に、名刹・比叡山延暦寺があります。
平安時代初期の僧・最澄によって建立された、天台宗本山寺院で、1994年には世界遺産にも登録されました。

信仰の地として有名な延暦寺ですが、お城好きの人たちの間でも有名なお寺ということをご存知ですか?

遠景石垣
戦国時代、天下統一を目指した織田信長は、仏教政治の腐敗が天下統一の障害になると考え、比叡山を焼き打ちしました。信長が、建物を焼き石垣を崩そうとしたところ、自然石を巧みに組み合わせた石垣はびくともしませんでした。それに感心した信長は、延暦寺の石垣を組んだ「穴太衆」という石工集団を雇い、天下に馳せた名城「安土城」を造らせました。安土城の石垣は、たちまち全国の諸大名の間に広がりました。

姫路
安土城建設以降の城には、石垣が用いられるようになったのです。戦国時代に作られた城の石垣8割が、穴太衆の手によって作られていきました。

熊本
2016年4月14日。熊本地震によって大変な被害を受けた熊本城。城を支え続けた石垣も一部崩壊してしまいました。この石垣の修復にあたるもの、現代に生きる穴太衆です。脈々と受け継がれてきた技術があるからこそ、戦国時代に作られた石垣の修復が可能となっています。

比叡山延暦寺を訪れた際には、日本に息づく仏教の鼓動だけでなく、戦国の世から残る石垣に日本の伝統技術を感じてみて下さい。

近景石垣

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