姫路紹介<捌> 天守傾く!? 天守閣を作った男の誇り
昭和より前の時代、姫路城の天守閣はずっと傾いて建っていたことを皆さんはご存知でしょうか?
姫路城の天守閣には、天守閣を作った男の悲しい物語があります。
男の名前は、桜井源兵衛。彼は姫路城の築城を池田輝政から命じられた大工の棟梁でした。
源兵衛は輝政から姫路城の築城を命じられてより、寝る間も惜しんで、大工の誇りをかけて、この人生の一大仕事に取り組みました。姫路城が完成したのは、源兵衛が輝政に築城の依頼を受けてから9年目のことでした。
源兵衛は完成した純白に輝く姫路城の姿を晴れ晴れとした気持ちで見ます。苦労をかけた妻にも、是非自慢の城を見せようと案内します。
「まぁ、なんて立派なお城なんでしょう」
妻は夫の仕事っぷりに感嘆の声をあげました。源兵衛は自慢げに頷きます。
「でも、私には少し傾いています……」
妻の不安げに発せられた一言に、源兵衛は驚きました。そしてじっくりと天守を見て愕然とします。天守は確かに傾いていました。
「素人の女の目にもわかるほど傾いているとするならば、おれが墨入れを間違ったに違いない」
大工の棟梁として、誇りをかけて挑んだ仕事での大きなミスでした。大工仕事には素人の女性の目から見てもはっきりとわかるほど、天守が傾いているのです。
自分を許すことが出来なかった源兵衛はノミを口にくわえ、天守閣のてっぺんから飛び降りたと言われています。
東に傾く姫路のお城 花のお江戸を恋しがる
町の人は、この悲しい大工の棟梁のことを語り伝え、謳いできました。
天守閣が傾いた原因は、実は源兵衛のミスではありませんでした。天守を作る際、盛り土を固めて造営を行ったのですが、土固めが不十分だったために、石垣が沈んだために起こったことでした。
昭和15年と17年の調査では、東南へ42.42㎝傾いていました。その後の修復で傾きは修正されます。現在の天守閣では、もう当時の傾きの跡はどこにも見ることが出来ません。
自分の仕事に高い誇りを持っていた源兵衛は、この知らせを天国で聞いて喜んでいることでしょうね。