姫路紹介<拾参> 京都で活躍した新選組の刀傷が姫路に!??
京都で活躍した新選組の刀傷が姫路あるなんで?と不思議に思われる方は多いと思います。
新選組といえば、幕末の京都で尊王攘夷派を取り締まった幕府側の武装集団です。その結成から解散まで、幕末の動乱のなか生きた男たちの生き様はドラマティックで、今なお多くのファンが彼らの史跡を訪ね歩いています。
主な活動拠点を京都に置いていた新選組ですが、彼らがつけた刀傷が京都から離れた姫路の地にあります。場所は姫路の中心部からほど近い住宅街の中、「亀山本徳寺」というお寺の本堂です。
実はこのお寺、新選組の隊士たちが暮らしていた京都・西本願寺の北集会所を移築したお寺なのです。室町時代からある歴史あるお寺なのですが、明治時代に火災で本堂が消失。西本願寺と結びつきの強かったことから、北集会所の建物が移築されてきました。
その為、新選組にあまり縁のない姫路の地に、新選組の刀傷があるのです。
姫路にはもう1つ。新選組に縁のある場所があります。現在姫路の中心部、遊園地や水族館、武道館などの施設が集まった小高い山があり、手柄山といいます。江戸時代には手柄山一派と言われる刀鍛冶職人たちがここに住んでいました。新選組二番隊組長・永倉新八の愛刀「播州住手柄山氏繁」はこの地で誕生しました。
山のように手柄がとれると縁起のいい銘に、多くの大名が欲した刀です。